略歴
- 大阪府出身
- 家業(製造業)で、倒産の危機に瀕し、金融機関と交渉。自力で事業再生
- 家業から分社独立し、事業再生のNPO法人に所属し、事業再生・事業承継・相続について研究
- 現在は不動産や、事業承継・相続対策のコンサルティング業務を中心に行っている
経歴
1969年、大阪・電気屋街の近く日本橋生まれ東大阪育ち。
家業の製造業を7才から手伝い、こどもの頃から機械の音を聞いて育つ。
小学生の時から電気好きで、半田ごてを使ってラジオの制作をしたり。
中学1年の時にパソコンと出会い、独学でBASIC言語でゲームをプログラミング。
高校は水泳部に所属、自治会長としても活動。
大学では将来の家業のためにと、経済学や財務、法律、マーケティングなど、中小企業診断士と似た内容を学ぶ。
卒業後、非鉄金属加工の会社に就職。しかし、体調の優れない父母から家業に入ってくれないかと頼まれ、大変お世話になった会社を3ヶ月で辞め家業に入る。
家業に入るも、折に触れ仕事が暇になると、従業員さんを簡単に解雇できない父は、私をたびたびクビに。そのたびに本田技研の製造ラインで働いたり、販売の仕事をしたり、忙しくなれば家業に戻るということを繰り返すことに。。。
時に家業の見通しが立たないときは、「将来食っていけるように、大型トラックの運転免許を取りに行け」と言われて「何のために気に入って入社した会社を辞めて家業に戻ったのか」とショックを受けたことも。
30歳の頃、思いもよらず取引先が海外で自社生産を開始し、急に仕事がゼロになるという危機的な状況に。
設備投資で一億以上の借金があり、なんとか生き延びるために、作業効率の向上や、4人の仕事を2人で作業できるようにしたりして、徹底的にコストダウンを行う。
また、新製品の研究開発に取り組む。(3~4年間は休みをほとんど取らず)
また金融機関との交渉や、新製品の開発をきっかけにした新規取引先開拓をひたすら繰り返して、個人事業主ながらも上場企業との直接取引に成功。
ついに自力で事業再生を果たす。
その後、製造業の先行きの不透明感から父から勧められて分社独立し、2010年エックスアイティー株式会社を設立。(私がいなくても仕事ができるように、装置を自作して製造設備の無人化を行い、家業を父に託す。父80歳で廃業)
その頃、メガバンク出身の知人からお誘いを受け、事業再生のNPO法人の事務局長となる。それがきっかけとなり、多くの士業の先生から財務・金融・事業承継・相続・不動産などを学ぶ。
また当時は東日本大震災直後で、多くの企業の閉塞感と疲弊状況を見てなんとか勇気づけたいと思い、230億円の負債から生還した木村勝男氏を講師に依頼して、経営者向けのセミナーを開催。
経営者だけでなく学生や主婦までも参加されて、全10回連続満員(延べ1000人以上)を達成。それがきっかけで講師である木村勝男氏より東京事務所に招かれ、東京へ事業拠点を移す。
現在相続対策を中心に、主に不動産などの資産活用や相続・事業承継のコンサルティング事業を行い、単なる事業としてではなく公益性のある事業構築をめざしている。