高校時代の思い出2

高校時代は、ほんとに不真面目な生徒だった。

授業中、眠くなれば寝るし。

起きていても、授業が退屈なときは他の教科や、違うページを読んだりしていた。

先生はよく見ているもので、寝てたり、他の教科の教科書を読んでいるときに限って当ててくる。

特に寝ていると、急に「つぎ本間っ!続きを読め!!」と怒気を含んだ口調で命令されることが多かった。

そうしたら別に慌てることなく、適当にページを開けて、適当な行から自信満々に読み始めるのである。

そうすると必ずクラスがざわつき、先生があきれ果てて「それは先月やったページや。ええかげんにせい!」と。

大阪はええとこで、笑いに変えたら、先生も怒りを収めてくれる。

他の生徒はよくにらまれて先生から根に持たれたりしていたけれど、私はほぼ全員の先生と仲がよかった。

吉本のおかげかも。

高校時代の思い出

高校2年生の時、たしか夏の昼過ぎだったと思う。

英語の授業を受けていたけれど、昼ご飯を食べた後で眠い時間で、さらに単調な授業だったのか、教室には「どよ~ん」とした雰囲気で授業が続けられていた。

そんな空気を察したのか、「become」というフレーズを説明しているとき、急に先生から名指しされ、

「本間。お前、将来何になりたいんや」と聞かれた。

もちろん間髪入れずに「天皇陛下」と答えた。

そうするとその先生は「そうか」と一言だけいって、そのまま授業を続けていた。

教室には特段笑いが起こる事はなかったが、その後みんな目が覚めたのかわからないけれど急に授業に活気が戻った。

 

 

 

 

塾の先生

大学2年生だったかな。

昔、中学生相手に塾の先生のアルバイトをしていた。

科目は理科。

しかしまあむちゃくちゃな先生で、星座の授業の時、「今日は実際に星座を見て説明するから」と中学1年生の生徒4人(男2女2)を自分の車に乗せ、十三峠展望台に星空を見に行ったことがある。

こんなとこ 十三峠の夜景リンク

残念ながらすこし曇っていて、大阪の夜景も明るすぎて、星空どころではなく、たんなる大阪の夜景観賞になってしまった。

生徒には「絶対に塾長にも親にも他の先生にも言ってはだめ」口止めをしていたけれど、今思えば、中学生に口止めしても、口止めできるわけがない。

1年間塾の先生をやって、新学期になる前先生を辞める時に塾長から「みんな生徒から聞いている」と言われて青ざめた思い出がある。

でもこういう言葉をもらった。

「君はむちゃくちゃなこともしていたけれど、いちばん生徒から人気があった。成績の悪い生徒には『あの先生だけはえこひいきせえへんねん』って言われてたし。だからほんとは辞めて欲しくないんやけどなぁ」と。

 

そういえば3年生の落ちこぼれ対象に「8時間耐久トレーニング」という理科の講座とテストをして、1年生から3年生までの理科のテスト問題10枚を、80点以上になるまでクリアーと認めない講座をしたことがある。

さすがに5時間をこえたとき、参加した生徒から「もういやや」「やめさして」「帰らせて」と苦情が殺到したけれど、頑として受け付けなかった。

相手は中学生、それもガラの悪い河内の中学生。

「先生しばくぞ」「一生恨んだるからなあ」「○したろか」とかボロカスに言われても、徹底的に無視していたら、結局みな結局丸暗記してクリアーして、6時間を過ぎて帰る生徒が続出した。

 

おもしろいことに、それがきっかけに「おぼえたらええだけやん」とわかる生徒が何人も出てきた。

勉強って、頭の善し悪しじゃない、単なる記憶とその活用だと腑に落ちた生徒も出てきた。

そしてその後、急激に成績を伸ばす生徒も出てきた。

 

とはいえ、他にもむちゃくちゃなこともやっていた。

中間テスト、期末テストのあとの塾の日は生徒に「テキスト、教材持ってくるな」と言っていた。

何をしていたかと言えば、クイズやいろんな遊びをしていた。

中学生の笑いのツボは十分知っていたから、そんなことで1時間半はあっという間に過ごせた。

何をやったかは思い出せないけれど、いろんなアンケートを取って、その内容で生徒を爆笑させていた記憶がある。

たまに、生徒が教材を持ってきたら「なんで持ってくるんや」と怒ると、「親が持って行かないと『どこ遊びに行くの』って怒られるねんって言われるねん」と。

結局、親にも私の話が筒抜けだったらしい。。。

よく塾の先生、一年間続けられたもんだと思う。

 

その生徒のうちの1人にかわいらしい中学1年の女の子がいた。

かわいらしいといっても好意とかの意味ではなく、ほんとうにかわいらしかった女の子だった。

その子から、誕生日プレゼントをもらった。

それが今でも思い出の宝物になっている。

それがこれ。

ほんとうに貴重な宝物で、今でも愛用している。

 

 

そのほかにも、中学1年生のハンサムでやんちゃな男の子からは、私がのりP好きということを知っていて、何枚ものりPのテレホンカードをもってきたり、いろんなものを持ってきた記憶がある。

「先生あげる」と言われて、さすがに中学1年生から金品はもらえないと断っていたが、断るとすごく寂しそうな顔をしているのが印象的だった。

なので何度かもらうようにしたら、あげる方なのにすごく喜んでくれた。

その生徒はちょっとヤンキーで、グレかかっていたけれど、他の先生とは対立していたけれど、私にはとてもなついてくれたことをおぼえている。

今思えば、経済的に恵まれていたけれど、精神的には恵まれていなかったのかなと。。。

 

シャーペンを見て思い出して、いろいろ思い出を書いてみました。

#なんどか胸ぐらつかまれたこともあったなあ