事業再生の経験

クライアントさんから、銀行をまとめようと思っているという相談が来た。

聞いてみると、メインに使っている銀行が近くじゃなく不便なので、なにかと便利なメガバンクにすべて資金移動を計画しているとのこと。

そのメインの銀行は、以前、アパートやマンションの建設資金を借りたときの銀行。

今、そのメインの銀行からまた融資をお願いする可能性があるのに、禁じ手を打とうとしている状況だった。
 
 
金融機関は、長い付き合いや信頼関係が大切で、特に融資の時は実績がものをいうことが多い。

事業再生でさんざん見てきたことで、雨が降ったら傘をとりあげる存在だけれど、それでも必要になる場面が出てくる。

そのためにも仲良くやっておくほうがいい。

そういうアドバイスをいろいろした。

危ないところだった。

そういったアドバイスもコンサルの力量のひとつになるので、事業再生の経験は貴重だとつくづく思う。

捨て身 背水の陣

まだ人生を振り返るのは早いけれど、今社会に出てからの生き方を振り返ると、捨て身・背水の陣・親や人のためで生きてきたような。

大学からサークルをさんざん作ったけど、みんなは結婚したれど、自分は彼女も作らなかったし。

きっと変人なんだろう。

中学1年生の時、バレーボール部のキャプテンをしていました

私は中学1年生の2学期だったかな、バレーボール部のキャプテンをすることになった。
練習は一回もしたことがないのに1年生でキャプテンという、珍しい存在だった。
というのも、2年生がいなくて3年生しかいなくて、1年生は私だけだったので、3年生が引退をしたら私しかいなくなってキャプテンを任されたという。
なかなか深い話ですね。

元卓球部です

私は中学時代、2年生の時に卓球部に入った。
そうすると、後輩である1年生より遅れて入ったので、後輩に負ける負ける。
はじめは先輩と敬ってくれていた後輩だったけれど、次第にさんざん馬鹿にされるようになり、やめてしまった。

ところで大学時代、体操の授業で卓球があった。
私は負けに負けて、1勝59敗という不名誉な記録を作ってしまった。
その一勝ができた相手は、2勝58敗という、そいつもまた不名誉な記録を持っていた。
でも、私が1勝した相手が2勝していたというのも不思議な話。

大阪から

昨日の士業・業者向けセミナー、なんと、大阪から飛行機でやってきて受講し、その後飛行機で帰るという参加者がいらっしゃった。

そんな人がたまにいらっしゃると、ほんとに気が引き締まる思い。

もう850回以上もセミナーをやってきているから、最近は予習もなくいきなり話をすることができるようになったけれど、
やっぱり聞いてくれる人がいるという貴重な体験をさせて頂くという思いは忘れてはいけないと思う。

また最近は目つきが真剣なセミナー参加者が増えてきた。

しかめっ面で受講される人もいるけれど、実は真剣に聞いていて心の中でうなっていたという人も。

これからも真摯にセミナーに取り組もうと思う。

40のとき

自分の人生が踏んだり蹴ったりで、人生失敗したと思っていた。

兄弟や親のために家を手伝ってきたのに、その家業からほうり出されるという結末。

俺の人生、ここまでかと、必死に働いてきたのは何だったのかと。

夢も希望も見えない状況が、家業の時代でも、家業から離れても、何も変わらず続いていた。

なんやねん、この人生、と親を恨んだりもした。

アホみたいな人生だと、くやしさに打ちのめされたことも。

でもそれがあったから、今がある。

それがなかったら、今はない。

おおらかな学生生活2

高校時代のことを思い出せば、いろいろありましたが、先生とは仲が良かったのはなによりでした。

関西のお笑い文化があるので、笑いにすると先生も許してくれるというのもプラスになりました。

実は先生もたまに授業中頼ってくることも。

頼るってどんなことかといえば、けだるい昼からの授業で、みんな眠けと戦う状況になったとき、先生が急に私を指名して質問をしてくることがありました。

けだるい状況での授業中、いきなり急に
「ところで本間!」
と呼ばれてびっくりして
「はい!」と言ったら、
「お前将来何になりたいんや?」と聞かれたので、すかさず
「天皇陛下」
と言ったら、シーンとしているクラスがさらにシーンとしてしまいました。

先生もすこし戸惑った顔をしていたけれど、
「そうか」
とひと言。

そしてそのまま授業が続いていきました。

その時クラス中、微妙な雰囲気が流れ、笑っていいのかおもしろくないのか、クラスのみんな困ってました。

その後は授業も活気が戻ったので、まあ良しとするところですね。

おおらかな学生生活

今の世の中、ほんと世知辛くなってしまいました。

自転車も規制が強化されたり、変な権利を主張する人も増えたり、わかるけれど、昔のおおらかさがある時代のほうが良いのではと思うことも。

今も進学校のWebを管理しているけど、その進学校の先生も、先生は体罰をできないと生徒がなめてくることも増えたと言ってました。

昔は親が「先生、うちの子がいらんことしたらどついたってください」と言っていたもんですが。

ちなみに私は高校でいらんこと、悪意や害のないアホなことをちょくちょくしましたが、けっこう先生とは仲が良かったので、どつかれることは一切無かったです。

クラスコンパが学校にばれたときも、もみ消されたりとか。

授業中寝ていることも良くあったんですが、そういうときに限って先生は「本間、次の文章を読め」と言って当ててくるんですね。

ほかの生徒だったら、焦ってまわりの人に「どこ?どこ??」と聞いて、先生がそれを見て「お前、授業中寝るな!」と一喝がきます。

なので寝ぼけた私が立ち上がると、「本間あいつ怒られよるぞ!」とクラス中に緊張が走ります。

でも、私はまわりに聞くなんて野暮なことはせず、すぐに適当に本をめくって、全く関係のないページを堂々と読み始めます。

先生もクラスのみんなも「へ?」という顔をしますが、気にすることなく、そのまま読み進めると、先生から「本間、お前どこ読んでんねん。それ先月やったところや」と突っ込みが入り、そこで笑いを取るんですね。

そして先生は呆れた顔をして怒ることもなく、「もうええ、ここのページのここからや」と教えてくれます。

大阪は笑いを取れれば許される文化があるので、おおらかな学生生活を過ごせたもんです。

経営者

試練と逆境だらけで、効率を上げるというか、生産性を上げる工夫をしない限り、生きてゆけないから、さらに知恵を絞らざるをえなくなってくる。
音をあげることさえ許されない立場。
ほんと鍛えられるというか。

大安

引越などで大安を選ぶ人が多いのですが、私の父は絶対的無神論者。

なんと、父はわざわざ仏滅の日を選んで工場の引越や機械の搬入日を決めていました。

でも父は度重なる経営危機を乗り越え、売上が落ちても不渡りを受けても、取引先には一切迷惑をかけることなく、また銀行にも迷惑をかけることなく、引退する最後まで50年以上経営者を続けました。

ところで、仏滅を「悪縁を断ち切る日」と捉え、新たなスタートを切るのに良い日と考える人もいるそうですね。

私も父を見ていて、父は大切な行事の日を仏滅にあえて選んだから、倒産することなく、数え切れないほどの危機を乗り越え、最後まで経営者としてやってきたんじゃないかと思うくらいです。

でも残念だったのは、仕事がなくなるというのに無茶な設備投資を続け、在庫の山を宝の山と勘違いをしていて、さらに経営が苦しくなるということばかりをしていて、まったく意見を聞かないで設備投資と在庫の山を作るという、正直なところ、私は絶望的な気分でした。

おかげで経営はますます苦しくなり、私も給料がなくなり、素寒貧の生活を送ることに……

でも一緒に乗り越えてきた。

今はそんな父を、今は偉大な経営者として尊敬しています。