自分の人生が踏んだり蹴ったりで、人生失敗したと思っていた。
兄弟や親のために家を手伝ってきたのに、その家業からほうり出されるという結末。
俺の人生、ここまでかと、必死に働いてきたのは何だったのかと。
夢も希望も見えない状況が、家業の時代でも、家業から離れても、何も変わらず続いていた。
なんやねん、この人生、と親を恨んだりもした。
アホみたいな人生だと、くやしさに打ちのめされたことも。
でもそれがあったから、今がある。
それがなかったら、今はない。
自分の人生が踏んだり蹴ったりで、人生失敗したと思っていた。
兄弟や親のために家を手伝ってきたのに、その家業からほうり出されるという結末。
俺の人生、ここまでかと、必死に働いてきたのは何だったのかと。
夢も希望も見えない状況が、家業の時代でも、家業から離れても、何も変わらず続いていた。
なんやねん、この人生、と親を恨んだりもした。
アホみたいな人生だと、くやしさに打ちのめされたことも。
でもそれがあったから、今がある。
それがなかったら、今はない。
高校時代のことを思い出せば、いろいろありましたが、先生とは仲が良かったのはなによりでした。
関西のお笑い文化があるので、笑いにすると先生も許してくれるというのもプラスになりました。
実は先生もたまに授業中頼ってくることも。
頼るってどんなことかといえば、けだるい昼からの授業で、みんな眠けと戦う状況になったとき、先生が急に私を指名して質問をしてくることがありました。
けだるい状況での授業中、いきなり急に
「ところで本間!」
と呼ばれてびっくりして
「はい!」と言ったら、
「お前将来何になりたいんや?」と聞かれたので、すかさず
「天皇陛下」
と言ったら、シーンとしているクラスがさらにシーンとしてしまいました。
先生もすこし戸惑った顔をしていたけれど、
「そうか」
とひと言。
そしてそのまま授業が続いていきました。
その時クラス中、微妙な雰囲気が流れ、笑っていいのかおもしろくないのか、クラスのみんな困ってました。
その後は授業も活気が戻ったので、まあ良しとするところですね。
今の世の中、ほんと世知辛くなってしまいました。
自転車も規制が強化されたり、変な権利を主張する人も増えたり、わかるけれど、昔のおおらかさがある時代のほうが良いのではと思うことも。
今も進学校のWebを管理しているけど、その進学校の先生も、先生は体罰をできないと生徒がなめてくることも増えたと言ってました。
昔は親が「先生、うちの子がいらんことしたらどついたってください」と言っていたもんですが。
ちなみに私は高校でいらんこと、悪意や害のないアホなことをちょくちょくしましたが、けっこう先生とは仲が良かったので、どつかれることは一切無かったです。
クラスコンパが学校にばれたときも、もみ消されたりとか。
授業中寝ていることも良くあったんですが、そういうときに限って先生は「本間、次の文章を読め」と言って当ててくるんですね。
ほかの生徒だったら、焦ってまわりの人に「どこ?どこ??」と聞いて、先生がそれを見て「お前、授業中寝るな!」と一喝がきます。
なので寝ぼけた私が立ち上がると、「本間あいつ怒られよるぞ!」とクラス中に緊張が走ります。
でも、私はまわりに聞くなんて野暮なことはせず、すぐに適当に本をめくって、全く関係のないページを堂々と読み始めます。
先生もクラスのみんなも「へ?」という顔をしますが、気にすることなく、そのまま読み進めると、先生から「本間、お前どこ読んでんねん。それ先月やったところや」と突っ込みが入り、そこで笑いを取るんですね。
そして先生は呆れた顔をして怒ることもなく、「もうええ、ここのページのここからや」と教えてくれます。
大阪は笑いを取れれば許される文化があるので、おおらかな学生生活を過ごせたもんです。
試練と逆境だらけで、効率を上げるというか、生産性を上げる工夫をしない限り、生きてゆけないから、さらに知恵を絞らざるをえなくなってくる。
音をあげることさえ許されない立場。
ほんと鍛えられるというか。
引越などで大安を選ぶ人が多いのですが、私の父は絶対的無神論者。
なんと、父はわざわざ仏滅の日を選んで工場の引越や機械の搬入日を決めていました。
でも父は度重なる経営危機を乗り越え、売上が落ちても不渡りを受けても、取引先には一切迷惑をかけることなく、また銀行にも迷惑をかけることなく、引退する最後まで50年以上経営者を続けました。
ところで、仏滅を「悪縁を断ち切る日」と捉え、新たなスタートを切るのに良い日と考える人もいるそうですね。
私も父を見ていて、父は大切な行事の日を仏滅にあえて選んだから、倒産することなく、数え切れないほどの危機を乗り越え、最後まで経営者としてやってきたんじゃないかと思うくらいです。
でも残念だったのは、仕事がなくなるというのに無茶な設備投資を続け、在庫の山を宝の山と勘違いをしていて、さらに経営が苦しくなるということばかりをしていて、まったく意見を聞かないで設備投資と在庫の山を作るという、正直なところ、私は絶望的な気分でした。
おかげで経営はますます苦しくなり、私も給料がなくなり、素寒貧の生活を送ることに……
でも一緒に乗り越えてきた。
今はそんな父を、今は偉大な経営者として尊敬しています。
思えば、社会人になってからというものは、そして家業に入ることになってからは、ピンチの連絡だった。
どうすんねん、という状況がずっと続いてきた。
40で家業を放り出され将来に絶望を感じ、転職活動で人材会社に登録したら「こんな経歴で応募してくるな」と言われて将来に絶望を感じ、ようやく決まった勤め先にいくと、今度は上司や思いっきり年下の同僚からパワハラを受け将来に絶望を感じ、独立をしても仕事が取れずに将来に絶望。
いつも自分のまわりの人たちはみな出世をしたり、華やかな経歴だったりだけど、反面、自分は社会人になってからうまくいく経験なんてしたことがなかった。
どうすんねん、という状況がずっと続いてきた。
今も将来安泰じゃないけれど、とりあえず全力でなんにでも取り組んできたことが絶望から逃げる手段だったと思う。
今も、相続対策なんて「どうすんねん」というものばかりだけれど、七転八倒をしていると、なぜか良い方向にすすむことができ、感謝されることが多くなった。
もう56にもなったけれど、これからも全力でやっていかないといけないんだろうけれど、そういう生き方をさいごまで続けたいと思う。
弁護士の先生から法律相談があり、知人の法的士業にきいてみても今ひとつ説得力がある答えを頂くことができなかった。
で、結局、自力でエビデンスの資料を作成して回答することになった。
最近はそういった相談があることにびっくりするけど、答えられる自分にもびっくりする。
コンサルティングを行っているお客さんも、とても敬意を払ってくれることも多く、製造業歴33年の自分にとっては驚くことばかり。
先日もライフルホームズさんからセミナーを依頼され、思った以上に評判が良かったし、今もマネックス証券のセミナー講師の準備をしているところ。
またとある金融関係の顧客向けセミナーの準備もある。
状況の変化に自分が一番びっくりしている。
そしてありがたい気持ち、感謝の気持ちでいっぱいだ。
最近、持ち込まれる仕事の難易度があがってきた。
税理士や弁護士からも相談が増えてきて、中には裁判の答弁書というのかな、その文章のチェックもしている。
今も弁護士からは不動産分野ではない民法上の相談も来ている。
びっくりする話だけど、でも、経験があり、対応できるところが自分でも驚き。
継続は力なんだろうなと思う。
遠い昔の話だけれど、大学を卒業後の話、
入った会社をたった3ヶ月で家庭事情で辞めざるをえなくなった。
母の高血圧、父の関節痛で、兄は留学中だったので、私しか家業を支える人がいなかったから。
忙しいときは良かったが、製造業というものは好況不況の波が大きい。
季節的なものもあったりする。
そして仕事が少ない期間が少なくなると、社員をクビにできないので、20代の若い私をクビにするのである。
私は仕方が無く、本田技研鈴鹿工場、アサヒソーラーなどで期間工や仕事をすることになる。
時には、両親から「大型免許を取って、トラックの運転手をめざせ」と言われたときは、むなしさが激しかった。
親のために、家業のために、我が家を支えるために、大学を卒業後気に入って入った会社をたった3ヶ月で辞めることになり、挙げ句の果てには「トラックの運転手をめざせ」と言われる。
もちろんこどもの頃からトラックの運転手はやりたかった仕事で、運転は好きだし、仕事そのものはいいけれど、あまりにも便利屋扱いをしてくる親には腹立たしさをおぼえた。
気に入って入った会社を辞めなきゃ良かったとさえ思った。
それがめぐりめぐって、今がある。
でも、きょうだいからは「あいつは甘い汁を吸ってきた」といまだに思われている。。。
家族関係では、そんな不本意きわまりないことがとても多かった。
けれど、親にはささえてもらったことも多かったし、
そういういろんなマイナスがおおきかったから、人生の絶対値を考えたとき、今の状況になれたことにありがたみを感じている。
私もいろんな会社やバイトをたくさん経験した。
でも、いちばん気を遣ったのは、辞め方。
基本的には、できる限り迷惑をかけないよう、後ろ指をさされないようにして辞めてきた。
家業を辞めるときも、私がいなくても異変があれば自動停止する装置(シーケンサー)を組み込み、私がいなくても父一人で仕事が継続できるようにした。
実は独立前に、一度中堅メーカーに転職をしたことがある。
でもなんと、その会社で上司からパワハラの嵐。
39歳のおっさん(私)は理不尽すぎる攻撃の毎日に味方もいなくて、孤独に一人ひたすら耐えてました。
そんな折り、会長から家業時代に資材調達経験と簿記2級の知識を見込まれ、半年後昇格。
それからパタッとパワハラはなくなったけれど、会社に夢を持てなくなった私は退社を準備していたが、資材課長として会社のお金をみる立ち位置になったので、ふと私の就職斡旋に支払われた金額を見て絶句。
なんと数百万も払っていた。
それを見たからには、会社に払った以上稼がないとやめられないと思い、今度は自分で自分をいじめて、毎年数百万円以上コストダウンになる仕組みを作り、それが実現したので退職希望を出した。
その会社を辞めるときは、机やイス、ロッカー、パソコン、そのほか机の回り、きれいに磨き上げて掃除をして最後の退社をしました。
そしてその後、独立をし、今に至ります。
いろんなことがあったから独立をして今があると、今ではその会社に感謝しています。