お金持ち

製造業時代、知り合いの会社社長はクルーザーに乗っていた。

すごく儲かっているんだと思っていたら、なんと自己破産をしてしまった。

民事再生もできないくらいの状況だったようだ。

またポルシェに乗っていた取引先の社長も、倒産して債権者から「あのポルシェはどうしたのか?」と聞かれて、「リースしていた」と言っていた。(債権者会議では丸坊主にしていた)

東京に来ても、フェラーリに乗っていたとある若社長と何度か飲みに行ったけれど、やっぱり倒産してしまった。

 

逆に、よくできた経営者を見ていると、資産を何億・何十億も持っていたとしても、運動の意味もあってタクシーをあまり使わず、電車でよく移動されていたり、ユニクロを愛用されていたり。

服も腕時計も鞄もグッチとか有名高級ブランド品を使っているのは見たことがなく、別に普通の人でも使っているような品物ばかりだった。

 

見栄のためにお金を使うのか、そうじゃないものにお金を使うのか。

人によって判断は大きく違いますね。

 

降格

高校に入学したとき、何を間違えたか、
入学式の時に新入生代表で挨拶をさせられることに。

それから人生が狂いはじめ、学級委員長にさせられ、
挙げ句の果てに、高校1年生なのに自治会会長をさせられることに。

高校時代に会長をして、12年前に社長になり、そして所長に。

だんだんと降格してるなあ。。。

 

雨にも負けず、痛風にも負けず

先週金曜日、足をひねったところが腫れてきて、ついに痛風に突入した。

いつもきっかけがあって、そこが腫れてくる。

しかしたとえ痛風でも、仕事も家族サービスも休みはない。

激痛に耐えながら、予定通り立ってホワイトボードを使いながらセミナーをし、

激痛に耐えながら、予定通り家族サービスに出かけ、

激痛に耐えながら、こどもを小走りで追いかける。。。

でも峠は越えた。

雨にも負けず、痛風にも負けず、よくがんばったな、俺。

さすがに54にもなると誰もほめてくれないから、自分でほめとこ。

施設の父

施設に入っている父は退屈だと思う。

でも、こどもに電話をかける理由があまりないから、ほんとうは電話してなにか話をしたいけれど、迷惑になるのもイヤなので電話をかけてこないと思う。

でも理由があればかけてくる。

「電池がなくなった」「○○が故障したかも」

ささいなことでも理由があれば電話をかける口実ができる。

でも、こどもとして歓迎だし、こちらもできるかぎりかけようと思っているので、うれしい。

もっと親孝行になる事をしたいけれど、できる範囲でやって行きたいと思ってます。

 

 

30代の頃は家(家業)借金まみれ。

それでも父は飄々と生きていた。

危機感を感じない父に、「何を考えているんや」と私一人危機感を感じて、毎日13~14時間働き、土日も当然仕事、そんな日々を送っていた。

その結果が今あるのですが。(いろんな意味で)

でも、今思えば、父は腹がすわっていただけ。

なんとかなると。

なんの見込みもないけれど、そう思っていたようだった。

戦争を経験し、銃口を何度も突きつけられ、絶体絶命の修羅場をさんざんくぐり抜けてきた人生なので、腹が据わっていたということだろうと。

父からは、仕事に関してまったく何にも教えてもらわなかったけれど、いろいろ学んだこと・学ばされたことは多かったように思う。

父は50年以上仕事をしてきたけれど、人には一切迷惑をかけなかった。

なによりも下請け業者を大切にしてきた。

そういう姿勢は、今の仕事をするのにとても役に立っているように思える。

父が家業をしていたおかげで、よくわからない人生を歩んできたけれど、それもまた良しなんだと思ってます。

 

大腸の内視鏡検査

先日、2回目の大腸の内視鏡検査を行いました。

前回も鎮静剤無しだったので、今回も鎮静剤無しを選択。

前回も鎮静剤無しで結構大変でしたが、若い先生で鎮静剤無しということで多少手加減してもらえたようで、まあ我慢できました。

しかし今回は超(腸?w)ベテランの先生で、なんの手加減もなくガンガンやられて、むちゃくちゃ大変でした。

「うぉ~~~~っ!!」って。。。

ベテランだからいいとは限らないと、こころの深~い奥底から強く理解しました。

でも次回やるときは、こりず、また鎮静剤無しでやろうと思っています。

嫁には負けても、痛みにゃ負けない。(たぶん)

不作為の行為

昔、国語の教科書で「不作為の行為」を取り上げていた。

法律の専門家が使うのは「不作為の不法行為」となるけれど、不法行為に限定されないというのが「不作為の行為」もしくは「不作為の遵法行為」となるのかもしれない。

私は、この言葉に出会って衝撃を受けた。

なにもしないことが現状を認めていて、それが行為になると。

この言葉に出会ってから、ボランティアとかを行うようになったと思う。

大変な人たちが世の中にたくさんいる。

でも見ているしかできない。

なにか些細な力にでもなれればと思うことから、ボランティアをするようになったと思う。

 

最近、セミナー活動でボランティアをするようになった。

ほんとうに必要な知識が知られていないから、セミナーで伝えたいと思って「事理弁識のない~」というセミナーを始めた。

一人でも多くの人が知識を得て将来不幸な目に遭わず、幸せに過ごしてくれればと思って活動している。

がんばりたい

 

高校時代の思い出2

高校時代は、ほんとに不真面目な生徒だった。

授業中、眠くなれば寝るし。

起きていても、授業が退屈なときは他の教科や、違うページを読んだりしていた。

先生はよく見ているもので、寝てたり、他の教科の教科書を読んでいるときに限って当ててくる。

特に寝ていると、急に「つぎ本間っ!続きを読め!!」と怒気を含んだ口調で命令されることが多かった。

そうしたら別に慌てることなく、適当にページを開けて、適当な行から自信満々に読み始めるのである。

そうすると必ずクラスがざわつき、先生があきれ果てて「それは先月やったページや。ええかげんにせい!」と。

大阪はええとこで、笑いに変えたら、先生も怒りを収めてくれる。

他の生徒はよくにらまれて先生から根に持たれたりしていたけれど、私はほぼ全員の先生と仲がよかった。

吉本のおかげかも。

高校時代の思い出

高校2年生の時、たしか夏の昼過ぎだったと思う。

英語の授業を受けていたけれど、昼ご飯を食べた後で眠い時間で、さらに単調な授業だったのか、教室には「どよ~ん」とした雰囲気で授業が続けられていた。

そんな空気を察したのか、「become」というフレーズを説明しているとき、急に先生から名指しされ、

「本間。お前、将来何になりたいんや」と聞かれた。

もちろん間髪入れずに「天皇陛下」と答えた。

そうするとその先生は「そうか」と一言だけいって、そのまま授業を続けていた。

教室には特段笑いが起こる事はなかったが、その後みんな目が覚めたのかわからないけれど急に授業に活気が戻った。