よく考えたら

自分には悩みというものがないことに気がついた。

実際、困っていることはいろいろあり、それが悩みかといえば、克服する対象というか乗り越えてゆく対象だから、悩むということではない。

だから実はとても幸せに生きているということなんだろうと思う。

とてもありがたい。

 

 

あっ、でも、小遣いが少ないのが悩みかも。。。

これは乗り越えられるのか(苦笑)

久しぶりになった

盆休み、ずっと仕事したり、本を読んだり、掃除したり、整理整頓したり、してました。

運動不足だったから、毎日すこし走れた。

マイペースで取り組めたのは良かった。

でも、特段、書くべきネタがない。。。

 

 

2歳の迷子の女の子を保護したニュース

中学生が2歳の迷子の女の子を保護したと言うニュースを見た。

それで表彰されたとか。

別のニュースでは中学生が子供を保護したが、大人は見て見ぬふりをしていたそうだ。

でも実は男性にとってこれは結構難しい問題だと思う。

今の時代、下手すると声をかけただけでも不審者として通報されてしまう時代。

品川区の防犯メールも、小学生に声をかけたと言う事案があっただけで区民に一斉通報される時代。

迷子の子供を保護して、交番に行ったら取り調べにあって、誘拐の疑いで犯罪者扱いされたと言う話も聞いたことがある。

難しい時代だとつくづく思う。

だから、私ならどうするか。。。う~~ん。

誤認逮捕されたくないけれど、状況を見て通報をするか、
様子を見て、女の子に声をかける前に通報して相談するか。。。

 

人生バンジージャンプ

日本一のバンジージャンプをテレビで見て、ぜひやりたいと思って検索をしたら、一回いくらだと思いますか?

一回28,000円とのこと。

行く費用と飛ぶ費用とのコストパフォーマンスを考えると諦めました。

バンジーは過去一回やったことがあり、後ろ向きのほうが怖いと言われ、後ろ向きで飛びました。

めちゃおもしろかったです。

ちなみに私の人生自体が人生バンジージャンプ。

非常にエキサイティングな人生を送っていると思ってます。

安泰な人生だと思われるかもしれませんが、みな経験もしなければ、教えてもらっていない事ばかり。

必死に勉強して、実践してきたことばかり。

基本的に大きな夢を持つ事業は命をかけないとできないように感じています。

なので人生バンジージャンプ。

どうせみな死ぬんですから。

でもバンジージャンプで死ぬことはなかなかないので、安全に飛べるのはいいですね。

なのでどんなに高いとしても、バンジーのほうが楽ですね。

 

トヨタのでかいオフロード車

以前事務所が高輪にあった頃、隣のマンションに99のOさんが住んでました。

そのマンションはすさまじく豪華なマンションで、賃料60万~150万円くらいするマンションでした。

私は夜9時くらいに家に帰るとき、2,3回タクシーで帰ってくるOさんを見ましたが、私に気づくと、すぐにさささっとマンションへ急いで入ってゆくのを見かけました。

一度はトヨタの海外専用オフロード車で帰ってくるのを見かけ、びっくりしました。

そんなある日、そのマンション前にその車が路駐をしてました。

私が事務所を置いている所の管理人その車を見て怒っていて、警察に電話しようとしている様子だったので、「よくテレビに出ている99のOさんの車です」と言ったら、「そんな人しらないけど」といいつつ警察へ連絡するのをやめてくれました。

ということで、私はOさんの恩人なのです。

相手はまったく知らないとは思いますが(笑)

 

NCD

日本コンピュータ・ダイナミクス株式会社の創業者の下條さんと何度かお会いしたことがある。

さほど知名度はないものの、縁の下の力持ちのような事業をされていて、たとえば駅前の駐輪場はこの会社のシステムが入っていることが多い。

下條さんとは、とあるきっかけで知り合い、本社近くにある個人事務所にもお邪魔したことがある。

先輩の起業家としていろいろアドバイスを頂いた。

そして非常に参考になるお話をたくさん聞かせて頂いた。

会社というものは、経営者の器以上には大きくできないといわれている。

やっぱり創業者の方は大きな器の方だった。

ひたすら誠実な経営を続け、会社を大きくしてきた。

取引先の山一証券の破綻の時には、資金回収できない可能性が非常に高かったのにもかかわらず、そして他の企業がみな手を引いたのにもかかわらず、山一証券の顧客のため、システム全般を一手に引き受ける決断をしたという。

そしてその危機が会社をさらに伸ばしたという。

 

Amazonの書評にも、下條さんの人柄がわかるエピソードが一つ掲載されている。

できれば転載したいくらいだけれど、リンクだけしておこうと思う。 こちら

 

もっともっといろいろお話をお聞かせ頂きたかったけれど、数年前に人生を卒業されてしまった。

最近、経営に関していろいろ考えるところがあり、先人の知恵を頂きたいと思うことが多くある。

またよい経営者と出会えることができればと思う。

 

イメチェン

イメチェンをと思い、髪型変えようと短くしたら、
ただの髪の毛が短いだけのおっさんになってしまった

土台が土台だし、もともと長くないから仕方が無い、と悟りの境地です。。。

 

取調室?

警察に呼ばれて事情聴取をされたことがあるでしょうか。

私は高輪警察署の取調室?で事情聴取などをされたことがあります。

それというのも、盗まれた自転車が見つかって、盗まれる前の状況や犯人に対してどう処分を求めるか事情聴取されるために高輪警察署に行って、取調室っぽいところに入ったといういきさつです。

正直なところ、メチャメチャ狭く、鉄のロッカーに囲まれた畳3畳程度の凸型の空間の部屋で、逃げだそうとしても入口が狭くなっているために逃げ出すには至難の業、部屋に入った瞬間、ものすごく圧迫感を感じました。

経済評論家の三橋貴明さんも傷害容疑で逮捕され、あそこで取り調べを受けたのかもしれないと思うと、親近感をおぼえてしまいました。

https://www.sanspo.com/article/20180108-7A3ST4FYVNLEFIKEMG7XT4NAQQ/

でもまさか盗まれた自転車が見つかるとは夢にも思わなかったので、寛大な処分でOKとし(厳しい処分を望むこともできるんですね、その時はじめて知りました)、警察の方にはとても感謝して帰りました。

ちなみに三橋さん、公園でこどもを遊ばせていたのを見かけましたが、あいかわらず無表情でした。

救急車

どっかの記事で、道ばたで急病人がいたら「誰か、救急車を!」と叫ぶのはダメと書いてあった。

そういえば、私は今まで5回以上そんな場面に出くわしたことがある。

2016年救急車を呼んだとこ

去年、上野へ向かう東海道線の車中で、5m位先の斜め前の若い人がぶっ倒れて、駆け寄った人が「誰か、救急車を!」と叫んでいたことがある。

まわりに8人くらいいたけれど、だれもが焦った顔をして呆然とフリーズをしていた。

それを見て「みんなあかんなあ」と思って、「電話しましょか?」と普通に言ったら、みんな一斉にばっとこっちを振り返って「なんでそんなに冷静なん?」って顔をしていた。

電話すればいいだけなのに。

 

自動車製造工場

昔、アルバイト(期間工)で2回ほど学生時代と家業製造業時代の閑散期に自動車工場で働いたことがある。

1回目は塗装工程、2回目は扉の取り付け。

1回目は学生だったこともあり楽ちんな工程だったが、2回目は20代なかばということで責任ある自動車の扉の取り付けの工程に入ることになった。

というのも、配属先の希望を聞かれたとき「ハードな仕事でもいいです」と言ったこともあり、重い自動車の扉の取り付け作業に配属され、自動車の扉は20キロ程度の重さで、それを55秒に一台ずつ取り付けてゆく工程だった。

単純に売価を1台200万円とすれば、たったの1分でもラインを止めると、ホンダに200万円の損害が出る計算。

だからラインを止めることはその会社に迷惑をかけてしまうことになる、そんな責任の重い仕事だった。

 

はじめの1週間はオリエンテーションや安全対策などの勉強のほか雑務があり、残業はなく、寮に住み込みだったので、余った時間を自分が担当する扉の取り付けの工程を、予習で毎日1時間くらい見ることにした。

毎日1時間も見ていれば動作はだいたいおぼえるので、毎日寮に戻った後、その動作をずっと反復練習をしていた。

はじめはどうだったっけな、という感じだったけれど、次第に身体が勝手に動くくらい動作になれることができた。

工具をつかむ動作、運ぶ動作、そして取り付ける動作、全て事細かく予習をして、寮にもどって復習をくりかえしていた。

 

そして実際の作業工程に入ったとき、上長とサポートをしてくれる人がつきっきりでついてくれて作業を教えてくれる事になっていた。

けれど、1台目からそれほど問題無く動きができて、細かな作業だけわからなかったのでおしえてもらうという感じでスタートした。

5分もしないうちに自分一人でできるようになり、上長もサポートの社員さんもあっけにとられていた。

「前にやったことがあるのか?」と聞かれたくらい、スムースに作業ができていたようで。

「普通は慣れるまでに最低3日くらいかかるんやで」と。

毎日ずっと寮で動きをシミュレーションしてやってきたので、身体もおぼえていたみたいで、結局、サポートの社員さんが半日いたけれど、ずっと暇そうにしていて、そしていつの間にか消えていた。

 

自動車工場はきついという話をよく聞くけれど、個人的には非常に充実していた。

終わった後、残業を喜んで3時間くらいしたり、残業のないときは時々ジョギングしたりしていた。

鈴鹿サーキットの入場も無料で、よくアイススケートにも行った。

月40万円くらい稼げ、平日は3食つき、風呂もあり、相部屋だったけれど、もう一人の人とはシフトが違っていたからストレスもなく過ごせた。

寮長も優しく、食事もおいしく、だから思い出としてはとてもいい思い出になっている。

なつかしいな