降格

高校に入学したとき、何を間違えたか、
入学式の時に新入生代表で挨拶をさせられることに。

それから人生が狂いはじめ、学級委員長にさせられ、
挙げ句の果てに、高校1年生なのに自治会会長をさせられることに。

高校時代に会長をして、12年前に社長になり、そして所長に。

だんだんと降格してるなあ。。。

 

雨にも負けず、痛風にも負けず

先週金曜日、足をひねったところが腫れてきて、ついに痛風に突入した。

いつもきっかけがあって、そこが腫れてくる。

しかしたとえ痛風でも、仕事も家族サービスも休みはない。

激痛に耐えながら、予定通り立ってホワイトボードを使いながらセミナーをし、

激痛に耐えながら、予定通り家族サービスに出かけ、

激痛に耐えながら、こどもを小走りで追いかける。。。

でも峠は越えた。

雨にも負けず、痛風にも負けず、よくがんばったな、俺。

さすがに54にもなると誰もほめてくれないから、自分でほめとこ。

施設の父

施設に入っている父は退屈だと思う。

でも、こどもに電話をかける理由があまりないから、ほんとうは電話してなにか話をしたいけれど、迷惑になるのもイヤなので電話をかけてこないと思う。

でも理由があればかけてくる。

「電池がなくなった」「○○が故障したかも」

ささいなことでも理由があれば電話をかける口実ができる。

でも、こどもとして歓迎だし、こちらもできるかぎりかけようと思っているので、うれしい。

もっと親孝行になる事をしたいけれど、できる範囲でやって行きたいと思ってます。

 

 

30代の頃は家(家業)借金まみれ。

それでも父は飄々と生きていた。

危機感を感じない父に、「何を考えているんや」と私一人危機感を感じて、毎日13~14時間働き、土日も当然仕事、そんな日々を送っていた。

その結果が今あるのですが。(いろんな意味で)

でも、今思えば、父は腹がすわっていただけ。

なんとかなると。

なんの見込みもないけれど、そう思っていたようだった。

戦争を経験し、銃口を何度も突きつけられ、絶体絶命の修羅場をさんざんくぐり抜けてきた人生なので、腹が据わっていたということだろうと。

父からは、仕事に関してまったく何にも教えてもらわなかったけれど、いろいろ学んだこと・学ばされたことは多かったように思う。

父は50年以上仕事をしてきたけれど、人には一切迷惑をかけなかった。

なによりも下請け業者を大切にしてきた。

そういう姿勢は、今の仕事をするのにとても役に立っているように思える。

父が家業をしていたおかげで、よくわからない人生を歩んできたけれど、それもまた良しなんだと思ってます。

 

大腸の内視鏡検査

先日、2回目の大腸の内視鏡検査を行いました。

前回も鎮静剤無しだったので、今回も鎮静剤無しを選択。

前回も鎮静剤無しで結構大変でしたが、若い先生で鎮静剤無しということで多少手加減してもらえたようで、まあ我慢できました。

しかし今回は超(腸?w)ベテランの先生で、なんの手加減もなくガンガンやられて、むちゃくちゃ大変でした。

「うぉ~~~~っ!!」って。。。

ベテランだからいいとは限らないと、こころの深~い奥底から強く理解しました。

でも次回やるときは、こりず、また鎮静剤無しでやろうと思っています。

嫁には負けても、痛みにゃ負けない。(たぶん)

不作為の行為

昔、国語の教科書で「不作為の行為」を取り上げていた。

法律の専門家が使うのは「不作為の不法行為」となるけれど、不法行為に限定されないというのが「不作為の行為」もしくは「不作為の遵法行為」となるのかもしれない。

私は、この言葉に出会って衝撃を受けた。

なにもしないことが現状を認めていて、それが行為になると。

この言葉に出会ってから、ボランティアとかを行うようになったと思う。

大変な人たちが世の中にたくさんいる。

でも見ているしかできない。

なにか些細な力にでもなれればと思うことから、ボランティアをするようになったと思う。

 

最近、セミナー活動でボランティアをするようになった。

ほんとうに必要な知識が知られていないから、セミナーで伝えたいと思って「事理弁識のない~」というセミナーを始めた。

一人でも多くの人が知識を得て将来不幸な目に遭わず、幸せに過ごしてくれればと思って活動している。

がんばりたい

 

高校時代の思い出2

高校時代は、ほんとに不真面目な生徒だった。

授業中、眠くなれば寝るし。

起きていても、授業が退屈なときは他の教科や、違うページを読んだりしていた。

先生はよく見ているもので、寝てたり、他の教科の教科書を読んでいるときに限って当ててくる。

特に寝ていると、急に「つぎ本間っ!続きを読め!!」と怒気を含んだ口調で命令されることが多かった。

そうしたら別に慌てることなく、適当にページを開けて、適当な行から自信満々に読み始めるのである。

そうすると必ずクラスがざわつき、先生があきれ果てて「それは先月やったページや。ええかげんにせい!」と。

大阪はええとこで、笑いに変えたら、先生も怒りを収めてくれる。

他の生徒はよくにらまれて先生から根に持たれたりしていたけれど、私はほぼ全員の先生と仲がよかった。

吉本のおかげかも。

高校時代の思い出

高校2年生の時、たしか夏の昼過ぎだったと思う。

英語の授業を受けていたけれど、昼ご飯を食べた後で眠い時間で、さらに単調な授業だったのか、教室には「どよ~ん」とした雰囲気で授業が続けられていた。

そんな空気を察したのか、「become」というフレーズを説明しているとき、急に先生から名指しされ、

「本間。お前、将来何になりたいんや」と聞かれた。

もちろん間髪入れずに「天皇陛下」と答えた。

そうするとその先生は「そうか」と一言だけいって、そのまま授業を続けていた。

教室には特段笑いが起こる事はなかったが、その後みんな目が覚めたのかわからないけれど急に授業に活気が戻った。

 

 

 

 

塾の先生

大学2年生だったかな。

昔、中学生相手に塾の先生のアルバイトをしていた。

科目は理科。

しかしまあむちゃくちゃな先生で、星座の授業の時、「今日は実際に星座を見て説明するから」と中学1年生の生徒4人(男2女2)を自分の車に乗せ、十三峠展望台に星空を見に行ったことがある。

こんなとこ 十三峠の夜景リンク

残念ながらすこし曇っていて、大阪の夜景も明るすぎて、星空どころではなく、たんなる大阪の夜景観賞になってしまった。

生徒には「絶対に塾長にも親にも他の先生にも言ってはだめ」口止めをしていたけれど、今思えば、中学生に口止めしても、口止めできるわけがない。

1年間塾の先生をやって、新学期になる前先生を辞める時に塾長から「みんな生徒から聞いている」と言われて青ざめた思い出がある。

でもこういう言葉をもらった。

「君はむちゃくちゃなこともしていたけれど、いちばん生徒から人気があった。成績の悪い生徒には『あの先生だけはえこひいきせえへんねん』って言われてたし。だからほんとは辞めて欲しくないんやけどなぁ」と。

 

そういえば3年生の落ちこぼれ対象に「8時間耐久トレーニング」という理科の講座とテストをして、1年生から3年生までの理科のテスト問題10枚を、80点以上になるまでクリアーと認めない講座をしたことがある。

さすがに5時間をこえたとき、参加した生徒から「もういやや」「やめさして」「帰らせて」と苦情が殺到したけれど、頑として受け付けなかった。

相手は中学生、それもガラの悪い河内の中学生。

「先生しばくぞ」「一生恨んだるからなあ」「○したろか」とかボロカスに言われても、徹底的に無視していたら、結局みな結局丸暗記してクリアーして、6時間を過ぎて帰る生徒が続出した。

 

おもしろいことに、それがきっかけに「おぼえたらええだけやん」とわかる生徒が何人も出てきた。

勉強って、頭の善し悪しじゃない、単なる記憶とその活用だと腑に落ちた生徒も出てきた。

そしてその後、急激に成績を伸ばす生徒も出てきた。

 

とはいえ、他にもむちゃくちゃなこともやっていた。

中間テスト、期末テストのあとの塾の日は生徒に「テキスト、教材持ってくるな」と言っていた。

何をしていたかと言えば、クイズやいろんな遊びをしていた。

中学生の笑いのツボは十分知っていたから、そんなことで1時間半はあっという間に過ごせた。

何をやったかは思い出せないけれど、いろんなアンケートを取って、その内容で生徒を爆笑させていた記憶がある。

たまに、生徒が教材を持ってきたら「なんで持ってくるんや」と怒ると、「親が持って行かないと『どこ遊びに行くの』って怒られるねんって言われるねん」と。

結局、親にも私の話が筒抜けだったらしい。。。

よく塾の先生、一年間続けられたもんだと思う。

 

その生徒のうちの1人にかわいらしい中学1年の女の子がいた。

かわいらしいといっても好意とかの意味ではなく、ほんとうにかわいらしかった女の子だった。

その子から、誕生日プレゼントをもらった。

それが今でも思い出の宝物になっている。

それがこれ。

ほんとうに貴重な宝物で、今でも愛用している。

 

 

そのほかにも、中学1年生のハンサムでやんちゃな男の子からは、私がのりP好きということを知っていて、何枚ものりPのテレホンカードをもってきたり、いろんなものを持ってきた記憶がある。

「先生あげる」と言われて、さすがに中学1年生から金品はもらえないと断っていたが、断るとすごく寂しそうな顔をしているのが印象的だった。

なので何度かもらうようにしたら、あげる方なのにすごく喜んでくれた。

その生徒はちょっとヤンキーで、グレかかっていたけれど、他の先生とは対立していたけれど、私にはとてもなついてくれたことをおぼえている。

今思えば、経済的に恵まれていたけれど、精神的には恵まれていなかったのかなと。。。

 

シャーペンを見て思い出して、いろいろ思い出を書いてみました。

#なんどか胸ぐらつかまれたこともあったなあ

 

 

 

ほぼ同じ境遇

のび太とほぼ同じだった境遇かも

就職して経験を活かした飛躍を試みて入社した会社があったけれど、そこには夢がなかった