イメチェン

イメチェンをと思い、髪型変えようと短くしたら、
ただの髪の毛が短いだけのおっさんになってしまった

土台が土台だし、もともと長くないから仕方が無い、と悟りの境地です。。。

 

取調室?

警察に呼ばれて事情聴取をされたことがあるでしょうか。

私は高輪警察署の取調室?で事情聴取などをされたことがあります。

それというのも、盗まれた自転車が見つかって、盗まれる前の状況や犯人に対してどう処分を求めるか事情聴取されるために高輪警察署に行って、取調室っぽいところに入ったといういきさつです。

正直なところ、メチャメチャ狭く、鉄のロッカーに囲まれた畳3畳程度の凸型の空間の部屋で、逃げだそうとしても入口が狭くなっているために逃げ出すには至難の業、部屋に入った瞬間、ものすごく圧迫感を感じました。

経済評論家の三橋貴明さんも傷害容疑で逮捕され、あそこで取り調べを受けたのかもしれないと思うと、親近感をおぼえてしまいました。

https://www.sanspo.com/article/20180108-7A3ST4FYVNLEFIKEMG7XT4NAQQ/

でもまさか盗まれた自転車が見つかるとは夢にも思わなかったので、寛大な処分でOKとし(厳しい処分を望むこともできるんですね、その時はじめて知りました)、警察の方にはとても感謝して帰りました。

ちなみに三橋さん、公園でこどもを遊ばせていたのを見かけましたが、あいかわらず無表情でした。

救急車

どっかの記事で、道ばたで急病人がいたら「誰か、救急車を!」と叫ぶのはダメと書いてあった。

そういえば、私は今まで5回以上そんな場面に出くわしたことがある。

2016年救急車を呼んだとこ

去年、上野へ向かう東海道線の車中で、5m位先の斜め前の若い人がぶっ倒れて、駆け寄った人が「誰か、救急車を!」と叫んでいたことがある。

まわりに8人くらいいたけれど、だれもが焦った顔をして呆然とフリーズをしていた。

それを見て「みんなあかんなあ」と思って、「電話しましょか?」と普通に言ったら、みんな一斉にばっとこっちを振り返って「なんでそんなに冷静なん?」って顔をしていた。

電話すればいいだけなのに。

 

自動車製造工場

昔、アルバイト(期間工)で2回ほど学生時代と家業製造業時代の閑散期に自動車工場で働いたことがある。

1回目は塗装工程、2回目は扉の取り付け。

1回目は学生だったこともあり楽ちんな工程だったが、2回目は20代なかばということで責任ある自動車の扉の取り付けの工程に入ることになった。

というのも、配属先の希望を聞かれたとき「ハードな仕事でもいいです」と言ったこともあり、重い自動車の扉の取り付け作業に配属され、自動車の扉は20キロ程度の重さで、それを55秒に一台ずつ取り付けてゆく工程だった。

単純に売価を1台200万円とすれば、たったの1分でもラインを止めると、ホンダに200万円の損害が出る計算。

だからラインを止めることはその会社に迷惑をかけてしまうことになる、そんな責任の重い仕事だった。

 

はじめの1週間はオリエンテーションや安全対策などの勉強のほか雑務があり、残業はなく、寮に住み込みだったので、余った時間を自分が担当する扉の取り付けの工程を、予習で毎日1時間くらい見ることにした。

毎日1時間も見ていれば動作はだいたいおぼえるので、毎日寮に戻った後、その動作をずっと反復練習をしていた。

はじめはどうだったっけな、という感じだったけれど、次第に身体が勝手に動くくらい動作になれることができた。

工具をつかむ動作、運ぶ動作、そして取り付ける動作、全て事細かく予習をして、寮にもどって復習をくりかえしていた。

 

そして実際の作業工程に入ったとき、上長とサポートをしてくれる人がつきっきりでついてくれて作業を教えてくれる事になっていた。

けれど、1台目からそれほど問題無く動きができて、細かな作業だけわからなかったのでおしえてもらうという感じでスタートした。

5分もしないうちに自分一人でできるようになり、上長もサポートの社員さんもあっけにとられていた。

「前にやったことがあるのか?」と聞かれたくらい、スムースに作業ができていたようで。

「普通は慣れるまでに最低3日くらいかかるんやで」と。

毎日ずっと寮で動きをシミュレーションしてやってきたので、身体もおぼえていたみたいで、結局、サポートの社員さんが半日いたけれど、ずっと暇そうにしていて、そしていつの間にか消えていた。

 

自動車工場はきついという話をよく聞くけれど、個人的には非常に充実していた。

終わった後、残業を喜んで3時間くらいしたり、残業のないときは時々ジョギングしたりしていた。

鈴鹿サーキットの入場も無料で、よくアイススケートにも行った。

月40万円くらい稼げ、平日は3食つき、風呂もあり、相部屋だったけれど、もう一人の人とはシフトが違っていたからストレスもなく過ごせた。

寮長も優しく、食事もおいしく、だから思い出としてはとてもいい思い出になっている。

なつかしいな

 

 

 

 

 

 

クリアー

12/4の全山縦走(仲間内ルール・塩平寺まで)ですが、12時間切りになるかなあ、と思っていたら、なんとか9時間切りの予想外のタイムで終われた。

2ヶ月間、なかなかハードなトレーニングもした。

不思議な事もいろいろあって、一つはゴールのほんとうに直前に、小さなチョウチョがいっぱい出てきて紙吹雪をしてもらっているかのようで、「会長がほめてくれたのかなあ」と思ってうれしかったです。

この季節に蝶とは驚きでしたが、ヤマトシジミという蝶のようでした。

でも、ほんとクリアーできて良かったです。

やっぱりやるからには結果を出さないと意味が無いので、結果が出てほんとにほっとしました。

 

トレーニングをして思ったのは、やっぱり運動をした方が仕事の効率があがるのではないかということ。

健康にも良いし、仕事の効率にも良いし、精神衛生上にも良い。

運動はやっぱり大切なんですね。

そういったことを思い出させてくれたのは、先日の会長に怒られる夢のおかげです。

生きておられるときにはほんとうにお世話になり、会長いなくて今の人生はない。

なくなった今でも影響を与えてくれる。

ほんとうに今でも感謝しています。

会長に怒られる夢を見た

今朝目覚めて、会長が怒っている夢を見たのが印象に残った

最近は運動をまったくしていなくて、縦走を2ヶ月後に控えているのに逃げることばかり考えていた

夢ではレポート発表を任されたのにもかかわらずのんびりしていて、会長から急に発表の順番を決められ、3番目になり、すぐに発表がはじまったから慌ててレポートを書き始めて、途中で発表を求められることになり、しどろもどろで発表をして、会長の怒りが収まらず、後片付けを命じられ、そこにいた仲間と話をしているところらへんで目が覚めた

やっぱり縦走は会長にとって重要なイベントなので、夢に出てきたのだろうと思い、早速トレーニングを始めた

なんとか二ヶ月で身体を仕上げねば。。。

もうすぐお盆

もうすぐお盆なので、すこし相続相談で摩訶不思議な話をひとつ。

 

先日、いつも電話受付サービスに転送している電話が、なぜか転送にならず、事務所に直接電話がかかってきた。

受けてみて話を聞いてみると、どうやらかなり急ぎの相談のようで、翌日に来ていただくことになった。

でも転送電話はきちんと設定されていて、試しにかけてみたけれど実際に転送になっており、狐につままれたような気持ちでした。

 

翌日こられて話を聞いてみると、亡くなった親族の相続相談でした。

いろいろ話をしていると、実は亡くなった親族が1年前に作ったというエンディングノートに「私は○月○日になくなる」と言う記述があったそうで。

そして実際にその日に亡くなったという。。。

転送電話がなぜか転送にならなかったのも、何か意味があるのだろうとその話を聞いて感じてました。

 

この仕事をやっていると、なぜか天から見られているんだなあと思うことも多々あります。

相続相談を何度も何度もやっていると、実際にはわずか数分のアドバイスだけで終わることもかなり多いのですが、ほんとうに困って相談に来られている人たちばかりので、天から見ていると考えると、きちんと相談に乗ることが大切なんだろうなあ、と思っています。

陰徳を積むということなのかわかりませんが、そういう積み重ねのおかげで、自分でも信じられないようないろんな仕事を頂いているのかもしれないと思っています。

電車物語

先日電車で座っていたら、斜め前の3人掛けの優先席に、大柄の若いサラリーマン二人組がやってきて、でかい態度でドサッと座りました。

そして二人会話して盛り上がってました。

その隣はあいているけれど、わざとはみ出すように座っていて「優先席なのに迷惑な奴だなぁ」と思っていたら、なんと次の駅で、大柄のかなりぽっちゃりしたおばさんが乗ってきて(白鳳と橋本環奈を足して2で割ったくらいの大きさ)、他にも空いてる席があるのに、わざわざ、そのでかい態度のサラリーマンの隣めがけて行き、そして「ドスン!」と座りました。

その後、若いサラリーマン二人ともめちゃ窮屈そうになって、大柄なのに小さくなってました。

「おばさんやるなぁ!」と、端から見ていて吹き出しそうになりました(笑)

でも、優先席はよっぽど空いているときでない限りあけておくべきですね

相続相談で摩訶不思議な話

いつも電話受付サービスに転送している電話が、なぜか転送にならず、事務所に電話がかかってきた。

受けてみて話を聞いてみると、どうやらかなり急ぎの相談のようで、翌日に来ていただくことにした。

しかし転送電話はきちんと設定されていて、試しにかけてみたがきちんと転送になっており、狐につままれたような気持ちがした。

 

翌日こられて話を聞いてみると、亡くなった親族の相談の相談だった。

いろいろ話をしていると、実は亡くなった親族が1年前に作ったというエンディングノートに、「私は○月○日になくなる」と言う記述があったと言う。

そして実際にその日に亡くなったという

転送電話が転送にならなかったのも、何か意味があるのだろうとその話を聞いて感じた。

ただ相談自体は全く難しくはなかった。。。

人生伏線だらけ

そういえば人生伏線だらけということを感じる。

もとはといえば親を大切にしてきたことがセミナーの内容になり、実体験談として説得力を持っているような気がする。

また大学時代にさんざん遊びまくったことも役に立っている。

大学に入ったときに、クラブに入って新歓コンパのとき「今日は無礼講じゃ~」と新入りのくせにあほなことを言いまくっていたのも懐かしい。

家の仕事を手伝ったときも、暇になるたびに放り出されて、ホンダやアサヒソーラーなどで働いたのも良い経験ばかり。

母の病の時、母が気を遣うので看病という理由ではなく、HP制作という理由で家にずっといてHP制作をしていたのも、家業だけでなく今の仕事にもとても役に立っている。

家業で散々新製品開発をしてきたのも、今の事業の展開上役に立っている。

人生の不思議さを感じる。